沖縄からの便り

ユニオン沖那覇支部の比嘉宏さんからの「沖縄からの便り」
        コーナーを新設しました。どうかご覧ください。

2005/8/9 長崎の市民集会で報告をする比嘉さんです。

 沖縄からの便り目次
18 2011/7/14 この不条理を克服する方法は。
17 2010/10/24 労働者は理不尽な状況下にある
16 10/4 郵政も首を切ると公言する支店長へ
15 9/15 それで会社は存在価値はあるのか
14 8/14 自治会の納涼祭に出かけて・・・。
13 8/4 1週間ほどトルコへ行っていました―②
12 7/17 1週間ほどトルコへ行っていました―①
11 6/4 営業だ一路線はだれのためだろうか。
10 4/22 労使に対して中立を装う労基署の限界
9 4/19 残業を認めず、賃金不払いをする会社と闘い、撤回させる。
8 2007/3/9 JPS改善報告会IN広島。
7 1/5 年末の職場はどうだったのか。
6 06/11/28 沖縄知事選後の沖縄。
5 10/29 沖縄からの便り、5
4 9/23 日本の国と働く人のありよう。
3 8/28 大区分、早い人、ベスト5
2 7/22 労使協調の職場で笑う人は一部の人。
1 06/6/25 沖縄からの便り、1

 沖縄からの便り18

 この不条理を克服するためには。
 
 7月14日
 ご無沙汰しています。7月8日から10日まで、郵政労働者ユニオンの第8回定期大会に代議員として出席しました。郵産労との統一は最も大きな課題でしたが、私の関心はシルバーユニオンの位置づけにあります。松江支部長の強制配置転換、非正規労働者の雇止め、65歳労働者の雇止め、強制配転は明らかに(闘う)労組つぶしです。雇止めは会社の事業危機を現場労働者の人件費削減で乗り切ろうとするもので、非正規労働者への攻撃でもあります。JPEXの失敗=経営者の判断ミスを労働者に押し付けるのは許せません。日頃、自己責任を強調する彼らが、自己責任を取らないのは笑止千万です。 
 この不条理を克服する方法は何か。まず世論を味方につけることです。定年を迎え、時間的にも、経済的(?)にも比較的余裕のあるシルバーユニオンの皆様が力をつければ、世論形成に少しは貢献できるはずです。ちなみに私は2013年3月に定年を迎えます。
(沖縄支部 比嘉宏)


  沖縄からの便り17

 労働者は理不尽な状況下にある
  

「怒りを覚える」と言ったら、S君曰く「怒るのは比嘉さんにお任せします」と。当局の力で抑え込まれている私の職場では従順でいるのが、鬱(うつ)にならない秘訣かもしれない。20代、30代の職員はほぼすべて契約社員で、彼らはストレスにさらされている。怒る余裕などない。労働者は理不尽な状況下にある。

 バスガイドをしている私の妻は54歳で、「出社するのがつらい。後、2、3年でやめたい」と言う。資本家や有能な投資家は資本主義社会の中で稼ぎ、不景気になると、景気回復の為と称して税金が投入され、彼らは救済される。その結果、国家財政は悪化し、財政再建の為と称して年金制度の改悪を政権は図る。これに対し、フランスでは今、大規模なストライキがくり返されている。

※先日(10月15日)那覇東支店の窓口に私への苦情があったそうだ。「配達先での声が大きすぎる。ドアを激しく叩き過ぎる。言葉遣いが乱暴だ」―。反省!

2010年1021日(比嘉宏)



   沖縄からの便り16
  郵政も首を切ると公言する支店長へ

   

 今日(10月4日)は定例の支店長訓示(毎週月曜日)。

「皆さん日航の経営側は整理解雇をせざるを得ない!と言っています。いわゆる指名解雇のようなものです。もし、郵便事業がそういう事態になったら誰を解雇すると思いますか。営業で数字を上げている社員がいる。営業は自分には関係ないと思っている社員がいる。いつも言っています。そういう社員は去ってください。一所懸命頑張っている社員が可哀想です」。

私には彼の訓示は脅迫にしか聞こえない。売れない郵政の商品を、自腹を切って買っている社員が多数居るのはご存知のはずですがー。

支店長はどれだけ身の細る思いで営業しているのかしら。私が支社のトップなら、収入が激減すれば、まずこの支店長クラスを切ります。彼らは、後顧の憂いも無く生活できるだけの保障は既に獲得しているでしょう。

郵政の中枢のミステイクで郵パックへの信頼を失った。売れる商品を開発しきれない。暗に営業で自腹を切ることを強制する。これはモラルの問題です。契約社員の皆さんがこの理不尽さに抵抗できないのはやむをえません。しかし、手厚く法律の保護を受けている正社員がびびっているのは情けない。私は汗水流して労働するのは厭いませんが、営業で自腹を切ることはやりません。
               2010年10月4日、記 比嘉宏





沖縄からの便り15
それで会社は存在価値があるのか
 

8月某日、行きつけの食堂で昼食をとっていると後のちゃぶ台で携帯電話を覗き込んでいる人が居る。「夏の甲子園」中継を見ている。 

職場に戻って「今の携帯電話ってすごいね!テレビの機能もあるんだ」と言うと、隣のN君曰く、「今の携帯電話って電話もかけられるんですよ!」

 正社員登用試験が先日あって、N君も受験した。「プロは誤配してはいけない!」、「営業する気の無い者は去れ!」、「同じことを毎回言わせないでください!」、支店長の訓示は冷酷であり、観念的だ。「配達先でのお客様との信頼関係があれば、(売れない商品でも?)売れるはずです」と、とんでもないことを言う。「ハラハラ、ドキドキの契約社員になろうかな」と私が言うと「神経が衰弱しますよ」とN君は言う。7月の小包配達の混乱で、現場の習熟度が不足していたと発言した日本郵便事業㈱本社の鍋倉社長。その後で「郵便事業株式会社社員の皆さん、ご家族の皆さんへ」という内部文書を鍋倉社長名で配布(8月16日付)した。その中に「今回の混乱の原因の一つとして本社にフロントラインの声や情報が届いていなかったとの反省を踏まえ」とある。しかし私はこの反省を信用していない。組織の中に限定して、労使交渉をしているだけでは手遅れになる。街に出て訴えよう。「儲けさえすればいい!」、それで郵政事業に存在価値はあるのか。

2010年9月15日、記

 


 沖縄からの便り15

  自治会長だったが・・・
 

 今日は豊見城ニュータウン自治会主催の「納涼祭り」。
 夕食を済ませ、三重県の友人から届いたひさい梨(梨と風車のまちひさい!)を受領し、夜8時過ぎに「祭り」の会場に行く。青年部、あゆみ会(自治会の保育園を運営している)、おやじ会が屋台を出している。私は250円の沖縄そばを食べ、長嶺中学(娘の母校)創立30周年記念事業資金造成に協力しているおやじ会の屋台から1千円のそーめんを購入して家に戻った。若い男女が各々の屋台で売り子をしているのを見て、感動した。

 私は30代の頃、自治会長に就任し、3年間務めた。いろいろな経緯(いきさつ)があって、当時の自治会長には任意で退いていただいた。今、多忙を口実に自治会の定期清掃に出ることはほとんど無い。定期総会もここ数年は欠席している。でも自治会の活動が活気にみちているのは嬉しい限り、と思う。

 2010814日夜 比嘉宏



  沖縄からの便り14

 トルコに行きました。
 
  

600年続いたオスマン帝国が衰退し、欧米列強(イギリス、フランス、イタリア)の餌食となり、帝国全体が消滅しようとしていた時代。列強と戦い、ついに一九二三年にトルコ共和国の建国を実現した(オスマン帝国は崩壊した)トルコの民衆。民衆を鼓舞し続けたムスタファ・ケマル(一八八一~一九三八没。トルコ建国の父と言われる。軍人にして後にトルコ共和国の初代大統領に就任)。彼は偏屈で、寡黙で、協調性が無く、大衆に人気のある人物ではなかった。これって(当局の描く)郵政労働者ユニオンみたいです。第一次大戦で敗北したドイツと連合関係にあったオスマン帝国はオスマン政府(スルタンと呼ばれる歴代の王を頂点とする正統政府)とアンカラ政府(ムスタファ・ケマル率いる臨時政府)に分裂する。オスマン政府はイギリスとの融和を図り、帝国の存続を意図したが、王は民衆の支持を失い、亡命に追い込まれた。欧米列強との戦いに挑んだアンカラ政府は国際的に嘲笑すらされたが、歴史的幸運もあり、ついに勝利する。

この苛酷で非情な国際関係(弱者にたかる欧米列強)!「誇りと独立した国家」を守る為に勝ち目の無い(と世界が思った)戦いに立ち上がったトルコの民衆!私は郵政労働者ユニオンのこれからも続くに違いない永い闘いを思った。

2010年8月4日   比嘉宏


 沖縄からの便り12
  
  トルコに行きました。
  

今日(17日)は土曜日。頑張り屋の我が支店長はお休み。私はサンダル履きで順立て作業をしていた。
 突然、「比嘉、お前は俺を馬鹿にしているのか!」と支店長が傍にー。

「済みません」、迅速に靴に履き替える。

 支店長、毎朝6時過ぎには自宅を出て(彼は私と同じ豊見城ニュータウンに居住している)、定刻(16時45分)を過ぎても職場にいらっしゃるのですから、土曜日(と日曜日)はゆっくり休まれてください。

6月30日から7月8日まで私はトルコに居ました。
 陶器、絨毯(じゅうたん)、貴金属、革製品、その素晴らしい事。長い歴史の中で育まれてきた伝統の成せる技です。紀元前の遺跡、アヤソフィア(元はビザンチン帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設された)等を見ました。紀元前から人は生を営み、創造をし・・・。私はいろいろ思うところがありました。次号に続く。

2010年7月17日
                比嘉 宏




 沖縄からの便り11

 営業第一路線は誰のためだろうか
  

 昨年のクリスマス、今年の母の日、そして父の日のゆうパック、私は各商品一個も販売できませんでした。売上ゼロです。職場では自腹を切って割り当て分を購入するのがやむをえない空気になっています。日々の配達業務だけでは「会社が成り立たないから営業で補う」という理屈に私は反論できずにいます。

停年を待たずに辞める同僚も居ます。民営化されなければ辞めなくて済んだのになどという気はありませんが、労働に歓びを感じ難い職場に成り下がったということはいえるでしょう。私はやり甲斐のある労働を求めてやっていきます。「営業のノルマも達成できないで、きれいごと言うんじゃない!」という声が聞こえてきますが、今の営業第一主義ははお客様のための郵便事業にはならないと思うのです(歯切れが悪いけれどー)。とりあえずかもめ~るの営業がんばるぞ。

            2010年6月4日記

沖縄からの便り10

 労使に対して中立を装う労働基準監督署の限界


 先程(夕方6時40分頃)、みなみ労働基準監督官から電話がありました。超勤をする物量ではない!との当局の見解は変わらないが、こちら(労働基準監督署)が残業手当を支払うよう押し込んだ、と言っています。私は職場にサービス労働が蔓延している現実を彼に再度強調しましたが、労使のどちらの言い分が正しいのか労働基準監督署の関知する所ではないと言われました。当局は何も反省していない。みなみ氏は労使の信頼関係の中で問題を解決するのが筋であると言う。労使に対して中立を装う労働基準監督署の限界を認識しました。     

2010年4月22日記

追伸 4月24日にA氏の「停年退職ご苦労さん会」を居酒屋で開催。あの件(支社でうちの支店長、前課長、現課長と労働基準監督官の話し合いがあったらしい)以来、若干職場の空気が変わった、と言ってくれた職員がいました。


 沖縄からの頼り9

 
 残業を認めず賃金不払いを撤回させたの巻き

   

沖縄からの頼り再開1

沖縄からの便りを3年ぶりに再開させていただきます。4月11日の高橋伸二さん(大阪城東支部)の「停年慰労会」に行ってきました。2次会で何名かの方とお喋りしているうちに「未来」で「沖縄からの便り」を再開しようとふと思ったのです。私、4月10日以降休暇を取得していて明日(20日)でそれも終了―。大分体がなまっていますが、好きな配達業務に復帰すればすぐに元に戻るでしょう。それにしても憂鬱なのはあの、営業です。味紀行は昨年やっと1件(12ヶ月分)売上ました。今年も1件売上できるかしら。ご承知の通り、私は去る2月の超勤簿への押印拒否(された)問題で、当局とトラブッテいます。営業もサボタージュしようと思ったけれど、それは止めにして。何とかサービス労働の蔓延に歯止めをかけようと労働基準監督官と当局との話し合いを実現しました。今後どういう展開になるか予断を許しません。

2010年4月19日記)

皆さま

     那覇支部の比嘉です。

  2月22日の超勤手当て押印拒否(された)の件ですが、今日4月21日始業時刻(8時)前に與儀(現)課長が「あれは支払うから」、私「あれって何ですか」、「超勤手当て」、「ああ2月22日の件ですね」、「そうです」という訳で、支払われることになりました。それ以上の会話はありません。4月24日の賃金明細にその旨明確に記載されるのかチェックする必要があります。(421日)

皆さま

 超勤手当ての支払は5月24日に行うと、当局はみなみ監督官に言明したそうです。4月24日に第一集配課課代が超勤押印簿への押印を要請してきました。2月22日 10分の超勤が認められました。結果、1時間35分の超勤ですから残り1時間分が5月に支払われます。(425日)

皆さま

 超勤手当て支払の件で、労働基準監督署を介入させたことは結果的に正解でした。同時に監督署の限界を認識しました。

私は来年ストライキを決行しようと構想しています。キーワードは「国民(県民)の為の郵政事業」です。スイーツ、味紀行、母の日、父の日等のいわゆるイベント小包の営業で郵便事業㈱の存続を図る!と我が支店長は毎週の訓示で強調していますが、お客様が求めてもいない商品を販売して経営が成り立つとは思えません。せいぜい自腹販売で賃金の一部を自主的に返上するのが関の山です。ユニオンとしての「郵政事業存続の為の施策」を具体的に国民にアピールする必要があると考えています。その手段としてストライキは最も有効であると思います。(428日)


沖縄からの頼り、8
           JPS改善報告会IN広島      

※前文。日本郵政公社が4.28元原告の皆様に謝罪しないのは彼らの歴史感覚の貧困を象徴しています。28年も昔のことを今更ーというのが彼らの思いであろうと推察します。 元原告のこれからの大変さを思うと「良かったですね!」というのにためらいがあります。しかし彼らは偉大です。原稿を送ります。(比嘉宏)

213日に「JPS改善報告」の事前発表会が那覇東郵便局で行われました。原単位方式導入の結果、超勤時間の削減、所定労働時間の有効活用を実現した、との報告です。215日は広島中央郵便局で「改善報告」が行われ、広島の仲間に傍聴をお願いしてありました。

広島からの報告です。 

「改善報告」は非公開で、参加者の途中出入り禁止。コソコソと陰に隠れてJPS―。

ということで傍聴は実現しませんでした。

 那覇東郵便局の第二集配営業課は昨年七月に道順及び配達の原単位を導入し、9月と10月で621時間の通区時間を生み出したそうです。

一方で第二集配営業課の総務主任は「誤配が多いのは時間に追われているから。原単位に基づく作業指示はムダ。自分の経験で作業の段取りをしていた時の方が効率的だった。現場の人間が提出した作業時間を基に原単位を算出していると言うけれど、原単位が実態に合っていないのは事実」と発言しています。しかし管理職やJPUの役員に対して公式に発言するのは憚(はばか)るという空気があるのも事実―。

昨日某総務主任が言うには、第二集配営業課は原単位のせいで、超勤は増えるし、誤配が多くなっているらしい。第一集配営業課(一班と二班)は原単位方式を実施していません。私の居る一班は第二集配営業課よりも明らかに超勤時間は少ないはずです。原単位方式の原則は同時に出発して、帰局時刻も同じくらい、ということですが、一班は出発時刻もバラバラ、帰局時刻もバラバラ。しかし効率的に仕事をこなしています。原単位方式が有効か否か現場から検証する必要があります。

私は312日付けで「06年度の各班の労働時間」公開の要請文を那覇東郵便局に提出します。

2007年3月9

余白

4・28元原告の皆さんの勝利に触れるスペースがなくなりました。大変さは続くはずですが、おめでとう!


沖縄からの便り7
年末の職場はどうだったのか


 皆さま新年明けましておめでとうございます。

 まず年末年始の業務報告から。今回は年賀葉書を全て2パスにかけるということでした。しかし、(私の区では)12/29670通、30610通、31日は2,240通の手区分がありました。0713日は2,120通(この日の約8割は1パスだそうです)。

経費削減を言いながら、事故処理の通数をその都度記録する、大区分の所要時間と順立ての所要時間を記録する、という指示が(上部=JPS?から)出され、私個人は大いに憤慨し、課代にもその旨伝えたのですが、表立っての異議申し立てはありませんでした。私は記録の事務を省略して31日は午後4時過ぎにアルバイトの持ち出し分を自転車に積み込み、それから自分の持ち出し分に着手し、事故処理を終え、31日は午後6時30分に上がりました。

 この数年間の「むり、むだ、むら」を無くす為のJPSの具体的施策は作業の所要時間を把握することに終始しました。把握した所要時間に基づき毎日の出発予定時刻と帰局予定時刻が掲示され、残業時間の算出もなされる訳です。しかし、(迅速に大区分し、順立てする)本来の業務の中に各作業の所要時間を記録するという事務が割り込んできて、作業能率の低下を招いているという事実にJPS(特に集配の現場から出向している推進室の皆さん)が気づいてないはずはありません。

所要時間を把握しさえすれば、むだ(余計な人件費)を無くせるという前提も間違っています。質の高い労働はモチベイション(動機付け)によって生まれるのです。私たち集配労働者は迅速、正確に業務を行うことに誇りを持っています。日常的に資料整備を行い、転出・転入の資料をパソコンで入力処理することによって資料の現行化に努めています。私がJPSに求めるのは「現場の事は現場に聞け」(JPSと現場の板ばさみになっている課代や総務主任の生の声に耳を傾けなさい)ということです。どうぞしっかりと結果を出してください。

 「健康に留意すること。お客様に喜ばれ、私自身も楽しい労働を求めてやっていくぞ!」を07年の抱負とします。皆さま今年もよろしくお願いします。

      00715日 

沖縄からの便り6 沖縄知事選後の沖縄

沖縄県知事選挙は自公の推す仲井真(なかいま)氏が私たちの推す糸数さんを破りました。「経済振興優先」の主張が「沖縄県内への基地移設阻止」の主張を破ったのです。三十四万七千票対三十一万票(投票率64.54%)で、三万七千票の差でした。

仲井真氏勝利の直後に「政府は二十日、県知事選で米軍普天間飛行場の県内移設を容認する仲井真弘多氏の当選を受け、米軍再編の関係自治体に交付金を拡充する新制度で、県内の公共事業の国負担割合を最大95%とするなど大幅に優遇する方針を固めた」(沖縄タイムス十一月二十一日朝刊)との報道があり、多くの沖縄県民は安堵したことでしょう。50年先、100年先を見据えた政策ではなく、当面の生活、事業経営が維持できるのであればいい、ということです。仲井真氏は「経済の自立」なくして「沖縄の自立」はない、そのためには日本政府の安保政策に協力して「見返りのお金」を頂く必要があるとの立場です。沖縄のある大学教授は(過重な基地を沖縄に押し付ける政府に反発しつつも)「経済政策を優先しなければならない苦渋の選択をした有権者も少なくなかったであろう」とコメントしていますが、事はそういう次元の問題では、もはやない。基地を沖縄県や山口県に固定しようとする政府がその地域の「自立」を望むはずがありません。

〔余白〕ところでー。例のJPSについてですが、過日某普通郵便局の局長と那覇市内で偶然お会いしました。私が彼らの施策が効率化に寄与するどころか効率は低下し、人件費はむしろ増加している、と言うと「トヨタの皆さんがJPSから撤退するのは時間の問題だと思う」、これが局長のコメントでした。

二〇〇六年十一月二八日 比嘉宏(沖縄那覇東郵便局、郵政ユニオン)

沖縄からの便り5
   11/19に沖縄知事選挙が闘われます。安倍内閣の誕生以降、国の形が変わりつつあるといわれる時代に、沖縄の闘いはますます重要です。頑張っている比嘉さんから「便り5」が届きました。掲載します。

 昨日、日「岡本恵徳さんを偲ぶ会」がありました。岡本さんは「日本近・現代文学と沖縄の戦前戦後の文学と思想を幅広く論及」された方であるらしい。私は岡本さんの著作を読んだことはありませんが、出席しました。彼は一坪反戦地主会の会員であり、定期総会にも毎回出席され、会費もちゃんと納めてくれる方でした(私は一坪反戦地主会の会計担当です)。総会で発言されることはなく、会話を交わした記憶もありません。岡本恵徳略年譜(作成・我部聖)によると「1953年7月に『琉大文学』創刊号に小説を発表。55年伊佐浜土地接収の現場で、武装兵に追われる」とあります。五〇年代は米軍による銃剣とブルトーザーによる土地の強奪があり、『琉大文学』は反米思想を煽るとして発禁になり、反米とみなされ退学になった琉球大学の学生もいました。土地を奪われた農民の中には南米に移住する例もあり、琉球大学を退学になった学生の中にはジャーナリストとして活躍し、その後、地元新聞社の社長に就任した新川明氏(既に退職しました)がいます。新川氏と岡本氏は『新沖縄文学』の「反復帰論」特集(一九七〇年一二月と翌年三月)に執筆しているそうです。

『沖縄・統合と反逆』(新川明 筑摩書房)から引用します。「たとえば私たち(沖縄人)の場合は、自らの生存を現実に、かつ具体的に律しているのは日本国という特定の国家が発動する秩序(中核には国家権力の防護装置としての法秩序がある。これを乱すものに対しては最終的には軍隊という暴力装置が準備される。)である。その拘束から自由になるためには国籍を離脱、放棄する以外にない。(中略)さきの定義(「反復帰」論)が生命力を持ち得るのは、そのような個人的なレベルにおける「移籍」や「逃亡」ではなく、一定の地理的な空間の中で歴史的に独自の社会を形成し、その社会空間に全存在を依拠して生きる地域の人びとが、現前の秩序と対峙し、これを超える普遍的な価値観をもって自らの生き方の選択と方向性を問う現実的な課題として引き受ける時である。(後略)」。日本国は「経済振興策」という名目で札束を鷲摑みにして私たちに差し伸べるが、「反復帰」論はそれを押し返し、沖縄の自律(自立)を促す理念になりうると私は考えています。

2006年1029日 比嘉宏

日本という国のありようと 働く人のありようと労組

           沖縄からの便り4

        郵政ユニオン沖縄那覇支部
                      比嘉 宏

  私の知人から聞いた話だがー。

彼の娘さんは日本の大手建材メーカーに勤めている。勤務先は沖縄の支社か支店のようだ。連日長時間労働で、朝8時前に家を出て、帰宅が夜9時頃だと(家族が)「今日は早いじゃない」という具合で、月末や決算時期には夜中の12時前後の帰宅は珍しくないという。企業は栄えて労働者は長時間労働に苦しむのがこの日本という国家なのである。

 私は今年7月の下旬から8月にかけて北欧を旅した。現地のガイドさん曰(いわ)く、「ヨーロッパの国は貧しいけれど、国民は豊かです」。つまり、「GDPでは負けますが、生活は日本の皆さんよりも豊かです」ということか。しかし、その北欧でも(市場競争の)規制緩和を主張する陣営が勢いを増しつつある。市場が地球規模で飽和状態に達している現代においては、商品は相対的に低価格でなければ売れない、つまり他の企業よりも大きなコスト削減を実現した企業のみが生き残るということになる。

 JPUが企業の生き残りを賭けてJPS(トヨタ方式)に協力するのはそういう背景がある。企業のコスト削減に徹底的に協力する以外に選択肢は無い、とこの大組合は確信しているのだ。労使協調路線の先駆け、全郵政との統合も、労働者間の賃金格差(非常勤の賃金は私たち常勤労働者の約3分の1だという)を容認するのもコスト削減のためである。企業が生き残る為には労働者が犠牲になるしかないという、理念無き労働組合である。労働組合(JPU)の中枢にいる非専従の役員が郵政の労働現場において管理職に準ずるポストにつき、コスト削減に邁進(まいしん)する喜劇を見て、物言わぬ労働者は心の中で何を思うのか。

弱肉強食ではなく、皆が誇りを持って働くことのできる職場を実現するために何ができるか、私は考えて行く。

             2006年9月23日

余白

名護市議選の結果が出た(9月10日)。

「人とジュゴンの町づくり宣言」をして今回初の挑戦をした東恩納たくまさんは、落選した。最下位当選が七二九票、東恩納さんの得票は七二八票であった。トップ当選は岸本洋平氏(1542票)、退任翌月に亡くなった岸本前市長の長男である。

沖縄からの便り3
                       
          大区分(早い人)ベスト5
              沖縄、比嘉宏

「今週のベスト5」が2階のエレベーター横に掲示されるようになったのは7月からだそうだ。作業日報に基づき一通あたりの処理秒数を算出し、「ベスト5」を決める。
「大区分の(速い人)ベスト5」、「道順組み立てベスト5」、「配達ベスト5」、「転送と還付ベスト5」がそれぞれ掲示されている。第一集配営業課の1班は15名中7名が日報を提出、2班は13名中10名が日報を提出。第二集配営業課の3班と4班はほぼ全員が日報を提出している。

 第二集配営業課の課長代理はN氏(JPU地区本部副委員長)、3班の班長はK氏(JPU那覇支部長)、4班の班長はS氏(JPU那覇支部書記長)である。日報を提出しない職員は当然ながら「ベスト5」の対象外である。

今週(8月17日~23日)の未提出者は1班の班長、私、他。2班の総務主任、他である。作業日報の記載事項は「大区分の開始時刻と終了時刻(及び小物郵便と大物郵便の手区分物数)、道順組み立て、配達、転送還付の(物数と)各開始時刻と終了時刻。そしてクライアント資料整備の(件数及び)開始時刻と終了時刻。営業活動の声かけ 件、局外活動(郵便商品販売、取次ぎ所開拓、事業所開拓、その他) 件、営業活動の合計時間 分。」

 これらの施策が「むり、むだ、ムラを無くす」ことにつながるというのですから困ってしまいます。その日の必要な労働量を数値化し、無駄な超勤を無くすという趣旨に異論はありません。しかし現場の労働者に訊()けば、もっと簡単で有効な方法を教えてくれますよ。私は友人の上席課長代理に具体案を提示しているが、採用してもらえない。

              2006年8月28日

余白

 沖縄県では9月に名護市議選がある。普天間基地の辺野古(へのこ)移転を名護市長は受け入れるつもりだ。彼をリコールする態勢を整える為にも「基地の県内移設反対」の議員を増やす必要がある。今回立候補している東恩納たくま(じゅごんの里代表)さんの応援に9月の初めに行くつもりである。

沖縄からの便り2

「労使協調の職場で笑う労働者はごく一部である」

郵政ユニオン沖縄・那覇支部 比嘉 宏

7月に普通郵便局の郵便課課長が勧奨退職した(彼は元那覇中央郵便局の全逓中郵支部長)。特定郵便局局長のK氏(元全逓那覇支部長)と普通郵便局局長のF氏(元全逓の役員経験者)も既に(3月)勧奨退職した。彼らはJPSに耐えることができなかったようだ。一方でJPU沖縄地区本部の副委員長N氏は那覇東郵便局第二集配営業課の課長代理としてJPSを推進する。全逓の那覇支部役員経験者K氏はJPS推進室のメンバーとして原単位の導入に努めている(那覇東郵便局では七月十四日実施)。第二集配営業課4班の(某日の)当日配達原単位一覧表によると8原単位の差がある配達区があり(実態はほぼ同時間の配達区)、実態に合わないJPSである。現場の原単位調査に基づく数字であると当局側は発言している、という。(ちなみに私の所属は第一集配営業課の1班)
作業量を数値化し、ムダを無くすというJPSは多くの無駄な作業を現場に強いていることに気づくべきだ。かつて配達業務に従事した経験のあるJPS推進室の皆さんが何故、トヨタから派遣されたJPSのスタッフに現場の実態を理解させようとしないのか私にはわからない。

話は飛ぶが、トヨタがリコール問題をめぐる不手際で業務改善の通告を受けた。アジアではフィリピントヨタ労組を弾圧しているという。世界的超優良企業と日本ではもてはやされているが、私はこんな企業の社員にはなりたくない。トヨタの正社員は高収入を得ているけれども幸せだろうかー。
 JPSが紆余曲折を経ながらも人件費と超勤時間の削減を実現したと仮定しよう(実態がサービス残業によるものだとしても)。数値によって管理される労働に歓びはない、効率化一辺倒の労働は空しい。「企業国家日本は栄えるが、国民は苦しむといわれる。それで最近、富国貧民というスローガンがささやかれるようになった。まさに豊かさの真っ只中の窮乏を的確に指摘した風刺である。」(ガバン.マコーマック著「空虚な楽園―戦後日本の再検討」みすず書房)という記述があるらしい。   

 労使協調の職場で笑う労働者は極一部である。

2006年7月22日


                                                                               
今年の6,23国際反戦沖縄集会の模様です。  
沖縄ピースサイクル、大阪の撮影
「沖縄からの便り」 その1
     比嘉 宏

  ユニオン那覇支部の比嘉です。第23回「6.23国際反戦沖縄集会」を終了しました。
  これは沖縄県主催の「全沖縄戦没者追悼式」が反戦の思いを新たにする、という原点から離れ、国家の維持のために殉じた戦没者を賛美する「ヤスクニの思想」の色合いを強めつつあることに危機感を持った市民運動団体が始めた「集会」です。
私は2000年頃(資料を確認していないので正確ではありません)から事務局としてこれに関わってきました。
  昨年はフィリピンとグアムから反基地活動家を招き、今年はグアムからジュリアン・アグオン氏を招き、発言してもらいました。彼はまだ20代の若者で、先住民チャモロの市民団体のメンバーです。間もなくロースクールに入学し、3年間法律を学び、弁護士を目指すとのことです。6月22日に事前集会を開き、グアムの現状を語ってもらいましたが、その報告は「労働情報」(7月10日発売699号)に投稿しました。
  沖縄とグアムに共通しているのは経済振興策と引き換えに軍事基地を押し付けられていること。その結果、財政が本国政府に依存する割合が非常に高いこと。未来を見据えた真の指導者を持ち得ていないことです。
  米軍の再編課程で明らかになったことがあります。沖縄県も名護市(そしてその周辺の村も)も政府の経済振興策がなければ自分たちは立ち行かないと思い込んでしまっていることです。1972年にヤマトに復帰して以降、莫大な金が沖縄に投下されてきました。
そして沖縄県は経済の自立のために苦渋の選択(つまり、基地を受け入れ、振興策を受け入れる)をしてきたにもかかわらず、日本政府への財政依存度は高いままです。反基地運動をしている私たち市民は経済の自律と精神の自律を実現する指標を指し示す使命をも担わされているのです。

                                                                  2006年6月25日